IMA コラム
免震ことはじめ
鎌倉大仏の寺として知られる長谷の高徳院は、本堂、回廊、客殿の設計を担当した当事務所ゆかりの寺です。あまり知られていないことですが、その大仏は昭和36年(1961)に大改修が行われました。
建長4年(1452)に建造が開始され、室町時代の大津波で大仏殿が流されて以来露座となった大仏(阿弥陀如来坐像)は高さ12.3m総重量121トンの金剛坐像です。大正12年(1923)年には関東大震災を受け、頭と頸の部分にクラックが入りさらに大地震が来れば倒壊の恐れがありました。そこで1961年当時の文部省文化財保護委員会(関野克博士)より、法隆寺・法輪寺などの収蔵庫の設計を行っていた当事務所に設計の依頼がありました。
「都市に歴史」
8月30日都庁にて夜までの会議を終え外に出ると、庁舎が五色の照明で彩られていました。この日の夕方オリンピック誘致の国内候補地が東京に決定されたとのことでした。計画ではメインスタジアムを晴海に、その周辺に選手村やプレスセンターをつくるもので、TVの画面からも昭和36年の東京オリンピックを懐かしみ、期待する声が多いようでした。
実はその遥か前に東京で「幻のオリンピック」そして「幻の万国博覧会」があったことを知る人は少ないでしょう。昭和15(1940)年の皇紀紀元2600年を祝う万国博覧会が計画され、会場には昭和初期に埋め立てられた月島(現在の晴海・豊洲)と横浜が選ばれました。東京では地下鉄の延伸が計画され、勝鬨橋も完成を迎えようとしていた頃です。
一方、第12回オリンピックは昭和11年のベルリン会議で決定され、東京市はそれを受けて臨時建築部を設け現在の駒沢公園をはじめとすると市内に競技施設を設計しました。この時、選手村担当となったのが東京帝大建築学科を卒業したばかりの入江雄太郎でした。
心に残った言葉(ある会長編)
建築設計に携わっていると、仕事を通じて、世界で活躍する企業のトップと接する機会があります。僕も数年前、ある環境配慮型の製品で世界的にシェアをもつ会社の、本社ビル設計監理の中で、その会社の会長とお話しする機会が度々ありました。竣工間近の頃、会長から、エレベーターホールのロールスクリーンにある文字を筆入れしたいとの要望があり、その言葉は「本来無東西」。秘書の方にその意味をうかがうと、自分で考えることに意義があるのだよ、との返事で、含蓄ある切り返し。
考えました。「ホンライ、トウザイナシ」。東西南北なんて概念は、人が作った形式にすぎない。それにとらわれることはないのだよ。形や既成概念にとらわれない、自由奔放な発想力を持ちなさい。そんな意味でしょうか。
経験と実績に裏打ちされた格言。どんな本を読むよりも心に染みます。
-Canna-