入江三宅
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2011年07月21日(木)
被災地へ

6/11(土)から4日間、東日本大震災のボランティア活動のため、岩手県に行った。地震がおこってからずっと行かなければと思っていた。人生初のボランティアである。GWに行くつもりが都合により今回となった。早く行かないとかたづけがすすみ、手伝うことがなくなるのではないかと思ったが、被害はそんな中途半端な規模ではなかった。3ヶ月たっても手付かずのがれきが、至るところにあった。

ボランティア活動は、岩手県遠野市を拠点に大槌町、釜石および陸前高田市でおこなった。
遠野は、柳田国男の遠野物語で知られた民話の里であり、東北のふところみたいなところだ。

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「遠野の里」

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「朝礼風景」

ここでは「遠野まごころネット」というボランティアセンター(VC)が、社会福祉協議会の建物を臨時に借りて運営されている。老若男女あわせて150人程度いる。女性も2割程がんばっている。兵庫県や新潟からの参加者が多い。大震災を経験しているからか、みな真剣だ。

朝7:15に懐かしいラジオ体操をやって、7:30から各地のニーズにあわせて班分け、8:00バスにて出発。片道1時間半かかる。昼は1時間休み、休憩もあり14:30には作業終了。
事故やケガを防ぐには、これぐらいが適当なようだ。16:00にはVCにもどる。
作業参加は、基本的に自由。きついときは、無理せず休むよう言われる。倒れられると困る。内勤での事務仕事も必要とのこと。長期で参加しているひとは、みずから休日を決め観光や温泉に行ったりして、のんびりと心と体を休ませる。

朝食は、さとうのごはんにインスタントみそ汁、納豆や梅干を食す。初めて食べたパックごはんは意外といけます。2,3日限定だからか。VCでは、冷蔵庫も冷凍庫もある。車も自転車もあり、ピザーラのバイクも寄付されたものだ。シャワーもあり、ひとり15分間の使用OKだ。

昼は、道の駅でおにぎりやパンを買う。バナナや甘い大福とかも。遠野は、スーパーやレストランも普通に営業している。そばやジンギスカンが名物である。みんな地元にお金を落とすようにする。
 
初日と2日目は、大槌に行った。町長も亡くなったほどのひどい被害の町である。民家で畳やカーペットをはがしたあとの床板をバールで、はがす。根太だけにする。床下に流れ込んだヘドロをかきだし、あとに消毒・地盤硬化のため消石灰をまく。ここまでがボランティアの仕事であとの床貼りはプロの大工に頼むようだ。大工道具も持参していたが、今は、壊す仕事が主であった。

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「民家の床なおし」

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「神棚まで浸かった」

1階天井近くまで浸かった家でも、構造がOKであれば、床・壁の直しで使える。どうせなら全部流されたほうが、ましと言っていた被災者に「とにかくご無事でなによりでした」と申し上げたところ、うんうんと頷いていた。ここでは真冬に、氷点下15度になることもあるという。分厚いグラスウール断熱材が取り付けられ、厚合板は、釘ではなくビス止めされており、寒冷地仕様の重装備を取りはずすのはひと苦労であった。

6/11は、震災から3ヶ月。月命日であり、14時46分 合掌。

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「陸前高田の中心街」

3日目は、陸前高田にバスがさしかかると車内の空気が変わった。街がない。なんにもない。家も店も工場も道路も、あるはずのものがないのである。

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「地盤沈下による水たまり」


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「釜石の防潮堤」

車が、とんでもない格好でひっくり返っている。堤防も海に沈んでいる。海水の池ができている。 20数年前この町に一泊した記憶だけがあった。

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「海辺」

壊滅した風景は、シャッターを押せないほど迫ってくる。
瓦礫の中で探しものをしているひとがいる。ボランティアの作業を見ているひとがいる。                          
海岸には、家の屋根や材木が浮いていた。 やっぱり、晴れた日の海は、いい。 

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「がれきの海」

波を見ていると先日のニュースを想いだす。南三陸にて海とまちに向かって黙祷をささげる天皇皇后両陛下を見て、この国の民と地をこころから慈しむふたりがいることを幸せに思った。避難所では、優しく精力的に声をかけてまわり、計画停電の際にも暖房も照明も切って過ごされていたとの報にふれ、ふたりとも高齢で決して体調は良くないであろうが日本人としての気概と品位にみちた行動に脱帽であった。

米崎地区というところで海とドロくさいなかでがれきをかたづけていた。岬では、右左両方から津波におそわれたのがわかる。線路のレールが、土手にぶらさがっている。砂利が、水路を埋めつくしている。大きな木が根こそぎ倒れている。便器や洗濯機やサッシュ等のいろいろなものがころがっている。

砂に埋まるトタン板をめくると遺体があるのではなどと、どきどきしている腰抜けの作業員であるが、杞憂に終わった。トランプが1枚落ちていた。めくるとハートのエースがでてきた。春に亡くなったスーちゃんの「微笑がえし」と思うと、キャンディーズ世代にはセンチメンタルな午後となった。

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最終日、仮宿という釜石の箱崎半島の小さな漁港は、海霞につつまれひっそりと潮騒だけが響いていた。リアス式の海岸は、美しい。NICE SPACEである。津波の痕は、海抜20mぐらいであろうか。お稲荷さんの赤い鳥居がひっくり返っている。50人ほどの急斜面の集落で5人が亡くなったらしい。

上屋がなくなり、土台だけになった家の遺構は、小さく見えた。一軒あたり十数人でがれきをより分ける。大人数だからこそ文化財発掘調査なみの丁寧な作業ができる。割れた位牌がでてきた。ひとにとって大切なものとは何かと考えさせられる。

三陸には、豊かな海がある。それをはぐくむ美しい山や川がある。豊富な水産資源があるかぎり、復興は早晩できるだろう。福島はどうなるのだろう。気の遠くなる作業であるが放射能に汚染された土を取替え、時間はかかってもかならず戻ると思っている。なぜなら広島、長崎も復活した。半世紀以上たっても戦争が、お手本だ。日本は、かわる。

ああ、おいしい刺身が食べたい。

(カラスミノーグ)

 
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